同世代の若手研究者を見て感じたこと

 8/24~8/26までの3日間、「生化学若い研究者の会」が主催する、「第52回生命科学夏の学校」に参加するために、愛知県にある蒲郡まで行ってきました。
 8/25の夕方にサイエンスCGの世界について若手の生化学研究者の皆さんにお話する持ち時間50分の特別講演枠を頂きまして、生化学とは全く無関係の私ですが、今回参加させて頂くことになりました。
 8月はなかなかに忙しい科で研修中でして、金曜日からの参加は難しく、そのため講演日時を無理にお願いし、本来8/24であるところを8/25に変更して頂いていたのですが、チームのトップの先生が「ここは大学病院なんだし、そういう会には最初から行きなさい。病棟のことは私で何とかします。」と、とてもありがたいお言葉をかけて下さり、初日から参加することが出来ました。
 日中は、ゲストをお呼びしてのワークショップやシンポジウム、夜は日をまたいでの交流会という流れ。出席者は130名ほどで、修士過程、博士課程の方々で過半数を占め、学部学生や企業の方が少数、と言った感じでしょうか。
 同世代ばかりなのに「先生」と呼ばれるのはかなり違和感があったかなぁ。壁が出来てしまいそうでイヤです。
 自分とは完全に門外漢の分野であったこともあり、なかなか馴染めなかったのですが、2日目の朝食を1人で食べていたところ、理化学研究所脳科学総合研究センターにてシニアチームリーダーをされている、精神科医師の加藤忠史先生に声をかけて頂きました。
 加藤先生は鬱病の研究を長い間されている先生で、私も学生時代に1度、病院での講義でお会いしたことがあります(…と言うのを最初は完全に忘れていたのですが、「僕ね、東大病院でずっと毎週1回鬱病の講義をしてて、たぶん先生にも会ってると思うよ。」と言われて少しずつ思い出しました。うー、すみません。。。)。
 加藤先生は、1日目に複数あるワークショップのゲストの1人として招待されていました。
 そんな加藤先生が、今回の生命科学夏の学校に参加して感じられたことをTwitterで書かれているのですが、これが非常に考えさせられる内容でした。僕も、特に交流会に参加して、何となく加藤先生と同じようなことを感じていました。
 (加藤先生のTwitterより)
 生命科学夏の学校に参加。研究交流会で若者が各々どんなことに興味を持って研究しているかを聴きました。どの生物でも、何の蛋白でも、好きな題材を選んで良いというキュリオシティードリヴンの研究環境は、疾患解明を目指す戦略研究に携わってきた身には、逆にカルチャーショックです。
 自分も精神科に入るまで、精神疾患で苦しむ人がこんなに多く、にもかかわらず何もわかっていないとは知りませんでした。全国の生物系の研究者が精神疾患研究の重要性を知り、この領域に参入してくれたら、精神疾患領域の研究者が増え、大きな研究費を獲得したのと同じ効果があります。
 精神疾患研究が興味深く、やりがいがあり、多くの人に期待されているものだということ、そしてどんな研究をすれば貢献できるのかを伝えることが、我々の指命だと思いました。新学術領域「マイクロエンドフェノタイプによる精神病態学の創出」の意義は大きいと再認識しました。

 1日目の交流会で、皆さんそれぞれがどのような研究をしているのかを5分程度で紹介し合う場があったのですが、自分の知識不足も非常に多かったのだとは思いますが、「で、それがわかると何が出来るの?」「そもそもなんでその研究をしているの?」と聞きたくなるような研究がいくつもありました。
 私は加藤先生と比較するなんて失礼極まりないくらい初心者の医者ですが、「ここにこんなに困っている人がいる(困っていることがある)。だからその原因を解き明かそう。」と言うロジックになるのが普通かなぁと思っていたのですが、必ずしもそうでは無さそうな研究者が多いことに改めて衝撃を受けました。
 そもそも医学系や理学系の基礎研究に動機を求めること自体が間違っているのでしょうか?困っていること、ものがあるからこそ研究をする、と言う考え方は医者になってしまったが故の考え方なのでしょうか。
 僕が個人的に大好きな基礎系の研究者の中に、東大分子細胞生物学研究所の伊藤啓先生という先生がいらっしゃいます。
 伊藤先生は、長いことショウジョウバエを使った脳の研究を行っています。しかし、学習や論理思考と言った、所謂花形の脳科学ではなく、脳神経回路の構造や機能などを一つずつ丹念に調べていらっしゃいます。
 なぜ、花形ではない研究をわざわざ行うのか。ショウジョウバエでひたすら研究を続けて何のためになるのか。将来役にたつのか。
 そう考えるのは普通の流れだと思うのですが、伊藤先生はこのような質問に対して明確な答えを持って研究を続けていらっしゃいます。
 それが、伊藤先生の研究室のウェブサイトに書かれている、「バックグラウンド ー なぜ神経の解剖学なのか。なぜショウジョウバエなのか。」です。
 かなり長い文章なのですが、これが本当に面白く、すらすらと読めてしまいます。そして読み終わった頃には、「凄い!自分もショウジョウバエの研究をしてみたい!」「この研究には是非ともたくさんの研究費がついてほしい!」と思ってしまうのです。
 基礎系の研究は、どうしてもその目的、将来それがどう活かされるのかがわかりにくくなってしまう性質があると思います。であるが故に、基礎の研究室を束ねている先生には、この伊藤先生の文章くらい、なぜ自分がこれほどまでの情熱を注ぎ込んで研究を続けているのか、将来どうしたいのか、などを書いて頂きたいのです。
 もし仮に、
 「自分が好きだからやっている。」「なんか興味があって。」
と言う動機で研究をしているのであれば、大学での研究の多くが多額の税金を投入して行われる研究体制の中で、大学の研究者としての道を歩む資格は無いのではないかと思います。
 やりたいことだけやる、興味があることだけをやるのはアマチュアです。もちろん、自分の興味がなければ、情熱がなければ研究に限らずどんな仕事も二流で終わってしまいますが、将来どうしたいか、究極的には何を成し遂げたいか、を常に意識して研究にあたってほしいなぁと思うわけです。最終的な目標を達成するためには、泥臭いことや嫌いなことも乗り越えなければいけないかもしれません。でも、自分が苦手なことや嫌いなことも一流として行う。それがプロだと思うのです。
 まともに基礎研究を一度もしたことのない自分がかなり偉そうなことを書いていますが、基礎研究とは全く無関係な自分が基礎研究者の集まりに参加して感じたことを書いてみました。
 加藤先生とは朝食のときに少ししか話せませんでしたが、その加藤先生の話がこれまたとても面白かった。先生曰く、「鬱病のことはびっくりするくらいまだ何もわかってない。」と。生涯有病率が7%近くもある、つまり10人強に1人が罹る病気についてほとんど何もわかっていないのは驚くべき事態です。
 最新の研究や鬱病の専門家から見れば反論もあるかとは思いますが、超大雑把に言えば「鬱っぽいから鬱病。」。10人弱に1人が罹る病気がある一つの原因だけで全て説明できるわけもなく、本当は白血病みたいに遺伝子レベルで膨大な数の分類分けが出来るはずで、症状から判断するだけでなく、きっちり原因を突き止めることが急務だそうです。
 現状を例えると、筋肉痛でお腹が痛いのも腸管穿孔して(腸に穴が空いて)お腹が痛いのも、どちらも腹痛。だから痛み止め処方。みたいな感じだそうです。
 と、いうバックグラウンドを聞くと、「これは研究して原因を解明し、治療方法を確立しなければ!」となるわけで、そのための基礎研究(…というよりここまで来ると臨床研究ですが)であると、研究に従事していない人でもとっても納得出来てしまうのです。
 研究の重要性をしっかりアピール出来てこそ、研究費を獲得し、研究が出来る。当たり前のことです。アピールが上手いかどうかで研究費に差がつくのも、当たり前のことです。
 「それではプレゼンが上手い人、トークが上手い人が有利ではないか!そんなのまかりならん!」
と言う意見もあるかと思いますが、僕はそれが当たり前だと思っています。大学受験の面接だって、会社の就職活動だって、合コンで誰を口説くときだって、アピールが上手いことが最も大切。一度アピールに成功すれば、その先は明るい未来が待っている。
 研究者も同じ。どんなに凄い研究でも、まわりから高い評価を受けられなければただの趣味。
 そんなこともあって、科学技術インタープリターとか、科学技術コミュニケーションとか、そんなのが日本でも流行っているのでしょう。
 でも、果たして研究者自身がアピール能力の訓練に時間を割かなければいけないのかというと、僕は必ずしもそうではないと思っています。
 「あいつ、とっても良い奴なんだよ。」「本当は超凄いんだよ。」とか言ってサポートする、所謂キューピットという存在があります。
 個人的には、科学技術コミュニケーションなどを行う人材は、キューピットの立場であれば良いと言うのが僕の主張。
 僕みたいに研究回路、研究思考が全くない人間からすると、超難しい基礎研究を続けられる人は、それだけで「越えられない壁」、超人の域の方々です。そんな特殊能力を持っている方々が、わざわざアピール能力の訓練に時間を取られるのは非常に勿体ない。その時間で、他の人には出来ないような新たな研究成果を出してくれれば良いのに、と思うわけです。
 で、研究者たちが研究に専念できるように、科学技術コミュニケーションを行う人々が、その研究の重要性、魅力をアピールする立場に徹してくれれば良いのにと思うのです。サイエンスCGも、研究を前に前に進めるための助けになれば、と思っていつも作っているわけです。もちろん、コミュニケーションを行う人、インタープレットする人と研究者とが時間をかけて入念な打ち合わせを行う必要はありますが、そうやって上手く棲み分け出来ないかなぁと日々考えています。
 もちろん、大学は研究機関であると同時に教育機関でありますから、研究者の皆さんは「教育」だけはしっかりやらなければダメですが!
 …話が膨らみすぎてまとまらなくなってきてしまった。。。
 自分はと言うと、生化学の若手研究者の皆さんが自分の話に何を求めているのか全く想像がつかなかったので、サイエンスCG教育の海外事情や自分の現状、具体的にどのようにしてCG作品が制作されたか、に加えて、自分がどうしてこの世界に入ったのか、何を思って今もCG制作を続けているのか、などをお話しさせて頂いたのですが、うーん、これで良かったんだろうか。それなりに評判は良かった…らしいのですが、楽しんで頂けたかなぁ。
 駒場の教養時代にお世話になった、石浦章一先生も私の講演も聞いて下さり、
 「映像には金がかかることはよく知っている。でも、瀬尾くんの作品を今日見たら、これならお金をかけても良いように思えた。」
と仰って下さったのがとても嬉しかったです。
 2日目に、ポスター発表なるものがあり、若手研究者の皆さんが各ポスターを見せつつ自分の研究内容を発表するのですが、ここで一つ大きな疑問。と言うか、いろんな学会に行くたびに同じ疑問を持つのですが、どうして皆さん、どのポスターも同様に、Abstractとか実験方法とか、細かい字でたくさんポスターに書くのでしょうか。
 僕は何度も言いますが、生化学に関してはど素人で、発表内容を聞いてもよくわからないのですが、発表スタイルを観察してみると、皆さんポスター内に描かれている絵や図を指さして一生懸命説明している。細かい字、文章を読み上げたり、指さしたりして説明している方は誰もいない。
 だったら、最初から文章なんて要らないんじゃないの?
と思うのですが、学会発表の世界ではそれはNGなのでしょうか。
 僕は去年、そんな自分の考えを反映させて、Cyfuseさんのポスターを制作させて頂いたのですが、これが結構評判よかったのです(…と伺っています)。
 
 ポスター掲載場所に誰も解説者がいないような条件であれば、多少文字が多いのも致し方なのかもしれませんが、そうでもなければ、細かい背景や実験方法などは別の冊子やプリントにして、「ご自由にお取り下さい。」的な感じで別に用意しておけばよいのに、と思うのです。今の時代であれば、QRコードかなんかをくっつけておけばそれで良いのではないでしょうか?
 …っていうのはやっぱりダメなのでしょうか。
 これまた東大の伊藤先生が仰っていたことなのですが、ある分野で一流の研究者も、他の分野では素人なわけで、異分野の研究者との共同研究になるのは、学会発表や合同シンポジウムなどではなく、限りなくわかりやすくイントロだけを伝えている、新聞の科学面やニュース番組、NHKスペシャルなどの特集番組だ、と。
 色んな分野が集まる今回のようなイベントでは、全く異なる分野同士がどこまで溶けあえるかが重要なわけで、そのためには、やはりポスター一つにしても第一印象で、「お、これなんか良くわからないけれど面白そうだぞ。話を聞いてみよう。」と思わせることが大切で、そのためには、余計な文字はとことん省いて、図を前面に押し出して、ドーンと大きく見せればいいじゃない、なんて思うのですが、それは単なるデザイナー思考なんですかねぇ。。。
 研究のあり方などについて本当に偉そうに語ってしまいましたが、東大総長賞の授賞式でも感じたことですが、自分と同世代の若者が、自分とは全く異なる分野でここまで一流として活躍している姿をたくさん目にして、「あー、自分もそんな歳になったかぁ。」と改めて感じました。
 既にNatureやScienceに載っているとか、凄すぎます。
 話が全くまとまらなかった。結局何を言いたかったのかなぁ。自分でもよくわかりません。。。


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同世代の若手研究者を見て感じたこと への12件のフィードバック

  1. ミク のコメント:

    3日間お疲れ様でした。
    講演のなかでの、「図で説明している」というのはまさにその通りだと思います。しかし、「見せ方」「魅せ方」というのはプレゼンを作り続けていけば勝手に身につくかというとそうではなく、デジハリや医学イラスト学科にまでいかないまでも、理論(が存在するかは知らないですけど)を学んでおくべきなんだろうな、ときれいなCGを見ながら考えていました。指導教官がこの図見にくいからこう直せ、みたいなのがほとんどなので、そのあたりのところイラスト系の講座ってどう教えているのでしょうか。

  2. R のコメント:

    通りすがりの基礎研究者です(現在は「残念ながら」医学系の研究をしていますが)。おっしゃりたいことはわかりますが、少し考えていただきたいことがあります。
    例えば、蛍光タンパク質GFPを単離した下村先生の研究動機は「綺麗だから」でした。耐熱性ポリメラーゼの発見の鍵となったのは、たまたま温泉の水を見てみようと思った微生物学者がいたからです。
    克服されなければならない疾患など、今現在、見えている問題を解決する努力は確かに重要です。
    しかし、ヒト疾患を治そうと努力している人が、そのために光るクラゲの研究をしたり、生命が存在しないとされていた熱湯の底の泥を顕微鏡のステージに乗せたりするはずは絶対にないのです。あなた方の認識では、それは趣味でありアマチュアの仕事なわけですから。
    厳しい事を言うなら、イメージングもPCRも、あなたの言うプロの研究者しか研究をやらないのであれば、恐らくいまだ辿り着けていないはずのものだという認識が欠如していると言って良いでしょう。科学史を紐解けば、生物学だけでなく、化学でも物理でも数学でさえ、そのような例が無数に存在するのを目の当たりにすることができるはずです。
    興味の赴くままに、世界のどんな端っこにも出かけてゆく人間が積み上げてきたものを当たり前のように使っているにもかかわらず、その人たちをアマチュアの趣味人と馬鹿にしてはばからないのはお医者さんたちの悪い癖です。

  3. White のコメント:

    >ミクさん
    見せ方、魅せ方に理論があるのかどうかは私も良くわかりません。
    私は、学会用のポスターとは全く関係のない、雑誌のレイアウトや映画のポスターなどを参考にして、「なんで格好良く見えるのだろう?」など考えながら参考にしています。

  4. White のコメント:

    >Rさん
    コメントありがとうございます。
    言い訳がましく聞こえてしまうかもしれませんが、私も今日、「あ、でもGFPとか最初はどうやって研究したのだろう?」とふと考えていたところでした。
    大きな発見に繋がるのは、偶然だったり好奇心だったりすることに間違いはないでしょう。
    最初のきっかけそのものが、明確な理由を持っていると言うのはマイノリティなのかもしれません。
    でも、そのきっかけ、ひらめき、探求心を研究につなげるためには、やはり研究資金や人手など、現実的な様々な問題を乗り越えなければいけません。「あなたに任せれば面白い研究成果が出来そうだから、なんでも自由に研究費使って良いよー」と言う状況が存在するのであれば良いのですが、ほとんどの場合はそうではなく、どこからか資金を確保したり、人を確保しなければいけないわけで、そのためには、研究の早い段階で、自分以外の人を動かすような何かを持っていなければならず、そのためには、「その研究で何がわかるのか。」「将来その研究で何をしたいのか。」を考えることは避けて通れないと思うのです。
    私の知識不足なだけかもしれせんが、最初は「綺麗だから」がきっかけで研究に取り組み始めたとしても、ただ「綺麗だから」と言い続けただけで研究を持続出来るだけの研究費や人材を確保出来たのか、知りたいところです。
    と、考えたのですが、どうでしょうか…。

  5. White のコメント:

    何でも最初は探求心から始まる。それは、あるときには「この病気でこんなに苦しんでいる人がいる。だから何とかしたい。」と言う気持ち。あるときには「この光るクラゲ、すっごい綺麗!どうなっているのだろう?」と言う気持ち。
    その思考は、基礎研究だろうと臨床研究だろうと同じ。ただ、そこからさらに持続可能な研究に発展させるときに、前者のような臨床研究の場合は一般の方々にも理解しやすいのに対し、後者のような基礎研究の場合はやや理解しにくい。
    そこに違いがあるのかなぁ、なんて思いました。
    そして、この社会の仕組みとして、研究をするにはどうしても研究設備や人材などをまかなう設備が必要で、それを確保する場合には、よっぽど自分がお金持ち、或いはよっぽどのパトロンでもいない限り、自分以外の人の心を動かさなければいけなくて、人の心を動かすために、「その研究で何がわかるのか。」「将来その研究で何をしたいのか。」をいることが最も近道、ということなのではないかなぁと考えました。「他人の心をも動かすような並々ならぬ情熱で自分の研究の面白さを語る。」などでも良いのかもしれません。
    んー、でも、自分の興味あることをひたすらやり続ける人と、その研究が持続できるように、その研究の魅力とか将来的な価値とかを考える人とが別にいて棲み分けをしてみ良いような気もします。難しい。。。

  6. R のコメント:

    無礼な文面に対して丁寧に対応して下さり、少し申し訳ない気持ちです。
    自然科学はそもそも、世界の成り立ちを理解し、共有する試みです。直接的に何らかの役に立つかどうかという問いはそもそもが意味をあまりなしません。東大理学部長がいいこと言っていますよ。
    http://www.ut-life.net/study/faculty/sci/y.iwasawa/
    役に立つかどうかは今はわからなくてかまわない。その中には世界を変える何かが、ごくわずかかもしれないけれど、絶対に混じっていることは歴史が証明してくれいます。そんな気の長い話に対する投資額が、景気の影響を受けるというのは覚悟の上です。
    >研究を持続出来るだけの研究費や人材を確保
    少なくとも生物系であれば、理学系の研究のコストパフォーマンスの良さは医学部より高いことが多いので、比較的少ない予算でも何とかなります。理学部から医学部に移動して感じたのは、予算は確かに潤沢だけれでも、なんでこんなに無駄な使い方をするのか、ということです。医学部の予算の使い方が適正だと考えたことはありますか?お題目のきれいさに目をくらまされてはいませんか?
    ちなみに、下村先生は近所の子供にお小遣いをあげてクラゲを取るのを手伝ってもらっていたそうです。
    >自分の興味あることをひたすらやり続ける人と、その研究が持続できるように、その研究の魅力とか将来的な価値とかを考える人とが別にいて棲み分けをして
    前者が自然科学、後者が医学を含む応用科学ですでに棲み分けしていると思いますよ。
    最後に私個人の意見ですが、研究が趣味かどうかをわけるラインは、(多くの場合査読論文として)研究結果を検証可能な形でコミュニティーに提示するか否かだと思っています。短期的な評価でしかはからないなら、死後評価されるような仕事は全部趣味になってしまいます。
    どのようなマイナーな仕事であれ、科学的とみなされる方法論に従って、新しいことを発見して論文にまとめれば、それはもう趣味ではありません。予算が少ないなら、おりないなりにやればよいのです。
    逆に、どんなに役立つ研究でも、結果をコミュニティーに報告しないなら、それは趣味です。医学部にもいるでしょう?4年も5年も論文書いていない人が。
    残念ながら伝えたいことがたくさんありすぎて、とても書ききれません。

  7. 草むしり のコメント:

    素人なんでわからないですが、論文も読みやすいように書いたりしないんですかね?
    ポスターの話もその延長で出来そうな気がするのですが・・・ダメです?
    あとまだ出てない話で、LHCとかISSみたいなビッグサイエンスも最近は苦しいですね・・・
    この記事と似たような話題で、私はここでのやり取りが好きです。2人とも熱い
    http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120527/1338102669

  8. rr のコメント:

    バカ過ぎてあいた口がふさがらん・・・科学史とか科学哲学とか東大の教養で勉強しなかったのか?自分がどれだけ恐ろしい事をネット上に曝しているか自覚したほうがいいぞ。
    あと細胞のアニメは嘘だらけなのでさっさと取り下げてください。なにが「楽しく、正しく」ですか。cellのボリュームとタンパクのボリュームを計算もせずにあんないい加減なムービーを作ってるのか?どうしようもないな。タンパクでパンパンに詰まっている細胞空間の中で整然と物質輸送が行われている事こそが細胞の神秘なんだが。

  9. GUI のコメント:

    通りすがりでコメント失礼します。役に立たないor目的のわかりにくい基礎研究については事業仕分けの時に結構話題になりましたのは記憶に新しいと思います。
    http://d.hatena.ne.jp/potasiumch/20091117#1258461078
    上の記事はとても分かりやすくて良いと思います。科学scienceと記述technologyは密接に関係してはいるものの、基本的には全く別物です。例えばNYtimesにはそれぞれ別のカテゴリとして記事が書かれています。ところが、日本ではこの二者の別についての意識が極めて低いです。マスコミも科学技術などというありもしない造語を使いますよね。
    せおさんはお医者さんのようですね。日本のお医者さんは極めて優勝なインテリですが、一方で科学については高校生レベルの方が多いです。なぜなら日本の医学部では科学に基づく技術については習いますが、純粋科学そのものについては習わないからです。アメリカのようにcollegeでの専攻を持たされることとかないですものね。せおさんが感じた違和感というのはおそらく、せおさんが技術のアタマで科学のアタマの人の話を聞いたからだと思います。話は理解できるが、意味がわからなかったのでしょう。
    これはプレゼンどうこうの話ではありません。科学と技術はそもそもの存在理由が異なるのです。面白いからといって無制限に科学に予算をつけるわけにはいきませんが、一方で技術と違って面白い以外の理由があり得ないのです。
    上の記事のように、日本は役に立たない科学はやめてもう技術しかやらないというのは一つの選択肢でしょう。ただ私はそんな国を祖国として誇ることは出来ません。

  10. Yuki のコメント:

    あと、加藤先生の専門は鬱病ではなく躁鬱病です。躁鬱の生涯有病率は(諸説ありますが)7%くらいですが、鬱病はもっと高いです。misleadingなので訂正された方が良いかと思います。身元を明かしているお医者さんが嘘医療情報を流すのはちょっとマズイかと思います。

  11. 通りすがり のコメント:

    通りすがりの研修医です。
    一応同門。
    東大医学部がノーベル賞を取れない理由は、くそまじめにそれぞれの疾患の研究なんかしてるからでしょう。
    はっきり言って鉄門の役目はそんな誰でもできる、そのうちできるよーなことじゃない。
    一生かかってぎりぎりできるかどーかってことを狙うべきでしょう。
    上の通りすがりの基礎の人のgfpのコメも全くその通りだし、それに加えてそもそも的に目標がちっちゃすぎ、コア過ぎ、近視眼すぎなんですよね。
    18の時点ではみんな思ってたはずなのに、24になったら綺麗に忘れてる。だってきょーじゅたちがはなから一つの疾患の研究しかしてないんだもん。ノーベル賞取る気0?じゃん。

  12. ブランドコピー のコメント:

    なぜなら日本の医学部では科学に基づく技術については習いますが、純粋科学そのものについては習わないからです

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