秋の行政事業レビューで心臓CGを「ろう人形館」のような「ものまね」だと慶應教授に批判された件。

※予想以上の反響でして、下のほうで随時追記しております。
※(2015/11/22 16:39追記)「秋の行政事業レビュー続編:「研究成果」と「科学の成果」は全く別物であることがわかった件。」を新たに書きました。

2015年11月11日、12日、13日と3日間で秋の行政事業レビューが行われました。政府の行政改革推進本部が、国の事業の検証をするやつです。

超大雑把にいうと、昔話題になった「事業仕分け」的なやつです。

その2日目、12日にはスパコンに関するレビューがありました。私はライブ配信を見ていたわけではなく、後から情報を集めたのですが、どうも引っかかることがあったので書き留めておきます。

まぁ、タイトルの通りなのですが、心臓シミュレータUT-Heartの可視化CGを「ろう人形館」のような「ものまね」だと慶應教授に批判されました

こちらの映像をご覧下さい。4分24秒からが該当する発言です。

発言をされているのは、慶應義塾大学理工学部物理情報工学科教授の伊藤公平先生という方だそうです。こちらの記事によると東大で特任准教授をされていたこともあるらしい。

んで、引っかかる発言がこれ。文字起こししました。

また、文科省の今日のご説明にもありましたけれども、科学的な素晴らしい成果をもっと論文も含めてダイレクトに発表された方が良いのではないかと私は昔から思っています

何かその、動く心臓を見せるのが悪いとは言えませんけれども、それがいったいどういう科学的成果なのか全くわからないですし、何かその、ろう人形館に行って、本物のアートでもなく、何か凄い技術をもって何かものまねをしたものを見せられているようなところがあるので、そこらへんは科学の迫力ということで示して頂いた方が良いと考えています。

なにを仰っているのか全く分からないのは私のほうなのですが、これ、たぶん、私のところで映像制作をさせて頂いたUT-Heart可視化映像を、単なるイメージビデオだと勘違いされたのではないかと。

こういう雰囲気のイメージビデオといいますか、プロモーションビデオといいますか、適当にそれっぽくて格好良いけれども全部デザイナーがそれっぽく作ったサイエンス映像ってよくあるじゃないですか。それと勘違いされたのかなぁ、と。

映像の最後には

映像内のCGは、全てスーパーコンピュータにより計算されたシミュレーション結果を正確に可視化したものです。

ときちんと説明しているのと、CG映像の最後のカットはDORV(両大血管右室起始症、Double Outlet Right Ventricle)という先天性心疾患に対して手術前と手術後とのシミュレーションを行って実際の治療にも使われた素晴らしい事例なのですが。

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あれかな、レビューの時間が短くてこの映像が途中までしか流れなかったとか、たぶんそういうことだと思いたいですね。

この映像はUT-Heartのシミュレーション結果そのものを全て、ハリウッド映画制作などで使われる3DCGソフトウェアで扱えるようにいろんな工夫をして、データを忠実に可視化したというまさにその部分に意味があるのであって、だから制作は大変だったし、そして説得力のある映像になったのだと思っています。

そのあたりの苦労話は以下に書いてありますのでもしご興味ありましたらどうぞ。

心臓シミュレーションを可視化する(前編)

心臓シミュレーションを可視化する(後編)

そして、あまり自分で言うのもどうかとも思いますが、シミュレーション結果を忠実に、且つ映像として魅力的に可視化したからこそ、今年のSIGGRAPHにてBEST VISUALIZATION AND SIMULATIONという名誉ある賞を受賞出来たわけでもあるのです。

Computer Animation Festival at SIGGRAPH 2015

SIGGRAPH受賞!

このUT-Heart映像と一緒に上映された作品のリストはSIGGRAPH 2015 Electronic Theaterのウェブサイトで確認できますが、アナ雪の短編続編だったり、Pixarの最新短編映画だったり、Jurassic WorldのCG/VFXメイキングだったり、世界的なCG映像がひしめき合っているところで堂々とガチサイエンス映像であるこのUT-Heart可視化映像が流れたわけで、先ほどの伊藤先生の言葉を部分的につぎはぎしますけれども

科学的な素晴らしい成果を」「科学の迫力ということで示して」いると思うんですよね。十分示している、と思う。

シミュレーションの先生方は毎年論文出されていらっしゃいますし、この可視化映像があることによって、Scientific Americanの公式ブログで紹介されたり、IFL SCIENCE!で紹介されて一気に世界中にUT-Heartが認知されたり、論文というアプローチだけでは絶対に行き届かない世界、にも辿り着けていると思うんですよね。

もちろん僕は可視化をした人の1人であって、シミュレーション結果が無ければ何も出来ないので、UT-Heartを開発された先生方に比べたら何の発言力も無いし、何を言っても説得力が無い、というか、僕自身はスパコン京そのものを使ったわけでは全く無く、1mmも触れていないわけなのでこういう話を展開すること自体がずれているのかもしれませんが。

なんかどうしても解せなかったので書きました。

ちなみに、「え、シミュレーションと可視化(ビジュアリゼーション)って違うの?」と思われた方は最近書いた以下のコラムをどうぞ。

SimulationとVisualization(前編)

SimulationとVisualization(後編)

おまけ:

でも一方で確かに以下のような意見も納得できるものではあります。

伊藤先生もこういうことを仰りたかったのだろうか。
映像だけで全てを説明することには流石に限界があるので、映像で概要掴んで頂いて、それでもって論文などでこれまでとの違いとか、新しい成果とかをもっと具体的に専門的に説明する、という合わせ技が出来れば最高かな、と。
確かに、これが本当にスパコン京を使わなければ出来ないことなのか、スパコン京を使ったからこその発見があったのか、スパコン京レベルのコンピュータを作ってでもやるべきことなのかは映像内では説明されていませんが、そこまで映像だけで見せるのはちょっと無理だなぁ。
でも少なくとも、「どういう科学的成果なのか全くわからない」ということにはならないと思うんだよなぁ。
ただ、そこまで見越した上でのご発言だったとしたら逆にとても建設的な意見ということになります。
映像見せるだけじゃなくて、その上で科学的にどうなのかもっとアカデミックなルールと用語を使って説明するところまでやってよね。」という意味だったのだろうか。
でもそれは論文が少ない、ということではなくて、今回のレビューで説明できる時間が限られていて、学術的な観点からの説明が十分でなかった、ということなのだろう、たぶん。しかしながら、では映像も何も無しにいきなり専門的な話をしてレビューする側がみんなわかるかというとまぁそんな簡単なことではなくて、説明する側もとても考えられた上での説明だったのだろうなぁ、と。

おまけ2:

11/14(土)にCGWORLDの沼倉編集長が僕のTweetをRetweetして下さったら瞬く間に映像が広がって嬉しい限りです。沼倉編集長、ありがとうございます!

おまけ3:(2015/11/14 19:30追記)

この方のご発言を発見して諸々腑に落ちた気がする。

おまけ4:(2015/11/14 22:10追記)

芸大の先生でメディアアーティストでもいらっしゃる八谷和彦先生のコメント。

確かに一理あるのだけれども、ちょっと違うと思ったので反論した。

以下やり取り。

※喧嘩している or 喧嘩したいわけでは全くありませんので!

おまけ5:(2015/11/14 22:13追記)

確かにそうかもしれません。でも今更タイトル修正するのもそれはそれで良くないと思いますのでそのままにしておきます。

ただやっぱりその場合も気になるのは、「おまけ4」のやり取り内でもあるように、誰目線で誰に向けてのご発言だったのかなぁ、と。

おまけ6:(2015/11/14 23:09追記)

「我々に映像だけ見せて説明終わり、とかそういう説明の仕方はやめて下さいね。」というアドバイスだったのかもしれない。

おまけ7:(2015/11/15 12:09追記)

東大の山中俊治教授のコメント。

(2015/11/15 12:41追記)
さらにその後のやりとり。

(2015/11/15 15:58追記)
さらにその後の山中先生からのコメント。

で、この後、落合陽一くんが僕と山中先生との会話に対してコメントをしてくれたのだけれども、これがとても的を射ていると思った。

つまりこれからの時代、「科学的成果」というものが、そもそも人間には理解出来ない次元に進んでいくのだと思う。そうなると、「ダイレクト」とか「科学の迫力」ってこの先どうなるのだろうね、という話にもなっていくのではないかなぁと。

ちょっと話がずれてしまったかな。

「ものまね」であっても、まずは基本的なところ、つまり正解がわかっているもの、ここでは正常心臓の動きなどを、手付けのアニメーションでは無く全て計算によって、それも生理学や物理学などの知識を結集した計算によって再現できることになった、というのは、科学研究の王道であって、基本が出来たから次は病気の心臓の術前シミュレーションだったり、或いは例えば不整脈の予想だったりを出来るようにするというのはこれまでの科学の発展の歴史から考えても何ら間違っていないと思いますし、寧ろ「ものまね」と表現されるくらい本物に近づけたというのはそれだけで「科学的な素晴らしい成果を」「ダイレクトに」「科学の迫力ということで示して」いると僕は思うのだけれども。

おまけ8:(2015/11/15 12:43追記)

Facebook上で今回のことに関しての質問を含むコメントがありまして、それに対する自分の回答を貼り付けておきます。
質問文が無いのでこれだけ読んでも…となってしまうかもしれませんが、映像制作意図などはご理解いただけるかと思います。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

回答致します。
まず、書き方に関してですが、八谷先生に限らず、経験の多さなどを鑑みておそらくこの方(々)のほうが正しいのだろうなぁと思えても、自分が納得できるだけのものになっていないので質問させて頂いたりやりとりをさせて頂いております。
それから、これだけ予想以上に反響があったこともあり、やっぱりこうだった、と思ってもそれは追記や訂正コメントのような形で行うべきだと思っておりまして、原文を消すことはしないほうが良いと思っています。

さて、映像についての改善点などをご指摘頂いたのだと思いますが、この映像は、「5分間見てくれればUT-Heartについて新規性・独自性なども含めて全てがわかる映像」ではありませんし、そもそもそのようなものは目指しておりません。
いきなり紙の資料だけで示されても内容理解や判断が難しい研究内容を補足するための、「イントロとして最適なもの」を目指しております。
ただ、「イントロ」であっても、「それっぽいイメージビデオ」にだけはしたくなかったので、「全てシミュレーション結果から作る」というのをポリシーにしました。

「単なるイメージビデオ」との区別がテロップしか無いのはそのように作ったからで、まずはこの映像に興味を持って頂くために、心臓の奥深さ・面白さを紹介し、「これ最後まで見てみたい!」と思った方には臨床応用への試みを目にすることになり、最後に「これシミュレーションなんですよ」とわかるように作ってあります。

「なぜ心臓のシミュレーションをするのか」「京じゃないとできなかった/以前ではできなかったのが京でできるようになった」ということまで説明をするのは限られた時間の中では無理だと判断しましたし、それは映像という表現方法でするようなことではない、という判断もしました。実写やら先生へのインタビューやらで作ろうと思えば作れるのかもしれませんが、私が取り組んだのは「シミュレーション結果」をどうやったらわかりやすく、飽きさせずに、且つ科学的にも妥当で、且つ役に立っていることまで示せるか、という点です。

ブログの後半のほうで、追記も含めて昨日色々書いたように、「映像見せるだけじゃなくて、その上で科学的にどうなのかもっとアカデミックなルールと用語を使って説明するところまでやってよね。」という意味だったのであれば理解できます。
そうであっても「ろう人形」はちょっと言い過ぎかな、とは思いますが。

成果をダイレクトに発表した方が良い、というのは科学者的な考え方であって、アカデミックの文脈では間違っていませんが、逆に言えば、アカデミック以外の文脈では必ずしもダイレクトに伝えることが最善手法であるとは限りません。少なくとも私はそう思っています。(結果を伝えないほうが良い、という意味では無く、もちろん伝えるのですが、伝え方には議論の余地があるだろう、という意味です)

シナリオには私が全面的に関与しています。と言いますか、私が作りました。もちろん、シナリオを作るために開発者の先生方が講演などで使われている資料や、スライドの順番などを相当参考にさせて頂いております。

テロップを最初に持ってくるのと、そういう「堅苦しい」ものは最後に持っていくのと、どちらのほうがより多くの方が抵抗なく見てくれるか、ということを考えて、最後に持っていきました。

学術論文では最初にAbstractで結論を端的に示してから詳しい内容に入るのが王道、と申しますかそれがルールのようなものですが、それは前述の通りアカデミックな文脈でのものです。

昨日のブログの後半でも少し触れましたが、伊藤先生が研究者の立場で、「我々研究者に対してアカデミックの文脈で説明するのであれば、もっとアカデミックのルールに則ってね。」と意味でご発言されているのであればわかりますが、しかし行政事業レビューってそういう主旨だったっけ?とも思うわけです。

もちろん、○○さまが仰っているように、「『行政として京、ポスト京に多額の予算を支出することの妥当性を文科省が説明できなかったこと』を問題視」する1つとして、「まさかCG映像だけ見せれば説明十分とか思っていないよね君たちは?」という提言のつもりで仰った言葉だと思いたいところです。

おまけ9:(2015/11/15 20:38追記)

下記の指摘も御尤もかと思います。

※私も今回の文章書く前に、YouTubeでの伊藤先生のご発言は通しで聞いております。


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秋の行政事業レビューで心臓CGを「ろう人形館」のような「ものまね」だと慶應教授に批判された件。 への5件のフィードバック

  1. えびす のコメント:

    瀬尾先生に憧れる一医師です.
    twitterなどをしないので,コメント欄を使わせて下さい.
    伊藤先生のご発言は残念です.UT-Heart可視化映像を『ものまね』と仰ってしまっている段階で,あまり医療に知識がないのが分かってしまいますが,それをスパコン評価に関する例として挙げてしまったのがまず一つ目の残念な点.瀬尾先生のあの映像が『ものまね・蝋人形』という言葉で表現されるものと思う医者はまずいないでしょう.私は初めて見たとき,感動して涙しました.もっと御自分の専門分野から例を挙げれば良かったのに.
    そして,『論文』=『科学の迫力』ととれる文脈であり,(ああこの行政事業レビューの仕事を,国民のためにしているわけではないんだ)と分かってしまったのが二つ目の残念な点.論文を,すげー迫力だ!と感じる中学生・高校生はまずいない気がします.次世代に迫力を感じてもらうプロジェクトが残って欲しい.

    瀬尾先生,先生の仕事にはちゃんと患者さんが見えます.医者としてのエッセンスが効いていると思います.とてもいい研修医時代を過ごされたのではないでしょうか.
    応援しています.

    • white のコメント:

      瀬尾です。
      コメントありがとうございます。

      医療知識がある、無いはここでは重要でない、どちらでも良いものだと思います。
      と、申しますか、伊藤先生含め、参考人や評価者の方々は、おそらくただでさえ忙しいのに国からさらにこんな役目が振ってきて対応されたのだと思います。
      さらに、スパコン事業1つをとっても、医療もあれば津波、気象、薬物動態など多岐にわたっており、全てについての知識を予め身につけておくのは不可能な話かと思います。
      私も、自分が関わったもの以外はさっぱりわかりません。

      ただ、いずれにしても「ろう人形」「ものまね」はちょっとなぁ、とは思いますが。

      次に、「科学の迫力」についてですが、これがとても難しいところだと思います。まず、参考人、評価者がどの立場で発言されているのか。
      アカデミックな立場からであれば、もちろん「論文」に残すことが大事であることに異論はありません。そして伊藤先生は研究者、アカデミックな立場で仰ったのかもしれません。
      しかし一方で、評価しているのは内閣(国)だと思いますので、その人たちの立場に立った発言も必要なはずで、となるとそこで「評価」の基準がずれてくるわけで、このあたりでちょっと捻じれてしまったのかなぁとも思います。

      私の好きな基礎研究系の先生が、昔「Natureみたいな一流雑誌とか、あれとか同人誌みたいなもんなんだよね」と仰っていたことがありまして、その先生自身はNatureに論文が掲載されたことがあるほどの先生なのですが、国民に対しての「科学の迫力」と考えた場合には、論文のような「同人誌」的なものに掲載されるよりもずっとインパクトがあって共感を得られるような方法があるかと思います。私はその方法の1つに、今回のような可視化映像があっても良いと思っています。

      最近自分の講演でよく言っているのですが、UT-Heartの映像で1分2秒あたりから心臓の内部構造という空間を表示して、右心系と左心系とに引きはがして解説している部分があるのですが、私が最も思い入れをもって作ったのがこのカットです。
      と、いうのも、自分が初期研修医だった頃、どうも心エコーがわからず、なんでプローブをこう回転させたらこうなるんだ??みたいな経験がありまして、だとすると患者さんがムンテラなどでエコー動画で説明されてもわかるわけないよね、と思い、UT-Heartのデータを眺めていたら心臓内部の表現が可能だということがわかったので取り入れました。

      アカデミックな観点からは新規性も何も無いのかもしれず、私が出来るのはこの程度のものでしかないのですが、でもこういう視点も大事だよね、と思って日々サイエンスCGを制作しているつもりです。

  2. アロハ のコメント:

    過去の分析と、課題の説明が不足しているように見えます。
    SimulationとVisualization(前編)も拝見しましたが、
    新しいことの説明には通常は前段にある、従来何が出来なくて問題だったかの説明が無いように見えました。
    例えば、
    従来は計算量が小さく、心臓の弁の動きぐらいしかシミュレート出来なくて、弁の形状と血流の関係はシミュレートできても、心臓全体は無理で、最終的な手術の結果はやってみないとわからないところがあった。
    心臓全体のシミュレーションが出来るようになって、どこをどのように手術したら術後はどのような効果があるかがシミュレート出来るようになった。
    とか、

  3. Magician のコメント:

    私には「それがいったいどういう科学的成果なのか全くわからない」「本物のアートでもなく」という下りが引っ掛かりました。

    私のようにそれなりの年月に渡り数値計算技術に携わってきた人間からすると、あんな風に心臓が気持ち悪く動く(※褒めてます)フルスケールシミュレーションを流し、その結果からババッとCG映像を創れてしまうこと自体が十分科学的成果だと思います。
    私がUT-Heartをスゲェと感じたのは、こんなとんでもないものを京で計算してしまったことと共に、それを成し遂げるためにどれだけ瀬尾先生方が泥臭い苦労をされたことか、そんなことを頭の隅っこで考えてしまったからです。

    多少推測も入りますが、UT-Heartを構成する物理モデルの多くは割とシンプルなものだったりするのではないでしょうか。それらを組み合わせ、メッシュを切って、京に突っ込めばとりあえず計算は流れてしまう。ただ、そこに至るまでの作業、あるいは計算後の可視化、そういった部分で要求される地味で面倒臭い作業的な部分を成果としてアピールするのは実はとても難しいことだと思います。少なくとも、論文になるようなものではないはずです。
    私は、企業研究員としてまさにこのような課題に直面しています。成果を分かりやすく説明しろとか第三者は勝手なことを言いますが、こういう作業的というかノウハウというか職人芸というか、そういう部分ってなかなか分かりやすくならないものです。それこそ、一番可視化が難しい部分なのです。ただ、それがないと本当にスゲェことは出来ないのです。

    ‘専門家’という存在が厄介なのは、どうしても自分のテリトリーでしか物事を評価できない、それ故とんでもない誤解や見落としが生じていたとしても「私には分からない」の一言で済まされてしまう、そういう所なんじゃないかなぁと思います。
    伊藤先生がどういう方なのか、私は全く存じ上げません。ただ「全くわからない」なんて公の場で気安く言って欲しくないです。学生のヘボ論文の審査会じゃないんですから、尚更。

    「原発0.1基分」という表現も正直アレですね。火力発電だって、オーダ的には原発と大差無いんですけど、何故敢えてここで‘原発’を持ち出したのか。
    ろう人形の例と言い(私にはろう人形だって十分スゲェ技術だと思うので)、もうちょっと言葉選びに気を遣って欲しいものです。

  4. ピンバック: 秋の行政事業レビュー続編:「研究成果」と「科学の成果」は全く別物であることがわかった件。 | -ズバッと!東大な日々。- の、その後の日々。

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