筑波大学「コンテンツ応用論2016」で講演してきました。

現代の魔法使いとして有名な、メディアアーティストで筑波大学助教の落合陽一先生の授業、「コンテンツ応用論2016」で、初回ゲスト講師として招いて頂きました!

初回ゲストだったことを講演直前に知りまして、良くも悪くも僕の今日の回が今後の授業における、学生さんたちからの評価の基準になってしまうわけですが、150人収容の会場は満席で200人超え。立ち見に加えて女の子も床に座るくらいの、文字通り満員御礼状態でした。

ハッシュタグ付けて30回以上のTweetで出席とする、というルールはメチャクチャ良くて、且つ、複数のスクリーンに異なる画面を表示出来る環境があると、メインのスクリーンでは講演スライド出しながら、サブのスクリーンでハッシュタグ付きのTweetを拾って表示することでリアルタイムに学生の意見や質問が入ってきてその場も盛り上がるし、講義終了後のアーカイブも残るし、講義・講演している側も、どこで盛り上がってどこが難しかったのかなどの復習も出来るし、勝手に世界にアピールも出来るし、一石三鳥、一石四鳥なのです!

Twitterの国内トレンドで「#コンテンツ応用論2016」のハッシュタグが2位にまでなっていた…!

スマホが当たり前の世代には、スマホを当たり前に使う授業をする。これとても大事。

一昔前なら、「授業中にスマホ使うなんて何事だ!」と怒られていた状況を、ほぼ全員がスマホを持っているのならば寧ろそれを最大限に活用しようという発想を、教える側が受け入れられるかられないかで、授業の質はいくらでも良くなるのだと思います。僕が学生の頃は、怒られている人いたなぁ。いやもちろん医学部の授業でスライドの写真撮ってアップロードとかされると個人情報が特定出来てしまったりなどなど当然問題点もあるわけですが、頑張ればアップロードした本人を特定することが出来るはずなので、うまいことコントロール出来るのではないかなぁと思うわけであります。

15分ほど延長しちゃいましたが、90分あればスライド300枚はさばけることが判明しました(10枚くらい飛ばしちゃったけど)。

スライド1枚あたりの情報量はスライドごとに全く異なって、1枚数秒で十分なものもありますから、よくアカデミックの世界で言われている「1分1枚」ってのは目安として覚えておくのは良いのですが、必ずしもそうではないのですよ。

後半の落合先生とのディスカッションは大いに盛り上がりました。
講演中に超的を射た質問を次々に作ってしまう落合先生はやっぱり凄かった。

瀬尾さんは10年後には「アーティスト」って自称していると思うよ。」と落合先生から予言されましたが、果たして10年後どうかなぁ。

「この人に頼みたいんです」「この人じゃなきゃ嫌だ」って言われたら、その人はアーティスト、というのは、そんな気もするしそうじゃない気もする。アーティスト的な側面は持っているのだけれども、でも一番大事にするのはやっぱり相手の希望や要望。さりげなく、それでいて「いやぁ、このデザイン素晴らしいね。やっぱり〇〇さん凄いね。」っていうのが真のデザイナー何ですかね。いや、アーティストなのかな。わからん。

「瀬尾さんの職業って何?医師?プロデューサー?デザイナー?エンジニア?」みたいな質問があって、それに絡めてこんな話もあったのだけれども、

言葉では説明しづらいのだけれども、とりあえず少しでもイメージを具体的にするためには無理やりにでも既存の職業で考えてみるしかないので、戦略的に、とか、今ある気になる職業を、みたいな話になるのだけれども、スーパー偉そうな表現なのだけれども、落合陽一という職業、とか、瀬尾拡史という職業、とか、究極はそんな感じなんじゃないかな。

だって、落合先生にしろ僕にしろ、10年くらい前からは何となくいまの方向性はあったけれども、当時は未だこの世に存在しなかったテクノロジーやらデバイスやらトレンドやらも使っているわけで、本人たちも具体的にはっきりとは見えていなかったんだと思うんだよね。うーん、言葉では表現しづらい。

授業後には落合研究室を案内してもらったのだけれども、改めて、僕も研究室持てたらなぁ、と思ってしまった。いや実際には落合くんだからこそ、こんな優秀な研究室を運営できるのであって、凡人には到底無理なのだけれども。

僕は未だに論文0本だから学生さんの指導なんて絶対に無理なのですよ。
その点でも、やっぱり世界の落合先生は凄いなぁ、と。サンジャポのコメンテーターとかやりながらも毎年一流の国際論文に最新の研究内容が採択されているし、まだ2年目の研究室で学生さんたちもまだ学部1, 2年生なのに国際学会に通ったりしていて、寧ろ「え、他のベテランの研究室の人たち一体何やってんすか?」ってレベルで他の研究室は相当マズい状況なわけですよ。

これ本当にあらゆる意味で凄いことだと思うのです。

そうそう、リスクのあることは研究室で研究としてやるほぼ確信を持って出来ると思えるものを仕事として請け負う、という落合先生のスタンスに150%同意。研究室やりながら社長も、ってなると、確か阪大では可能で、筑波ではごく一部可能で、東大は全くダメだったはず。利益相反云々とか色々あるんだよね。

この手のことは、不正をしたときに厳しくすれば良いのであって、入り口を超厳しくしたり禁止してしまうのはとてもナンセンスだと思っていて、どうにかなりませんかねぇ。最近なんでもそうだよね。

いやはや、とにもかくにも楽しい楽しい講演でした!
落合先生、素敵な機会を本当にありがとうございました!
ぜひまた2人のイベントやりましょう!!

あっ、「#コンテンツ応用論2016」タグはちょっとずつ追っておりますので!


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将来の夢を探している中学生の皆さんへ

今日は、グランフロント大阪ナレッジキャピタルのイベントで、甲陽学院中学校の中学3年生の有志の皆さんにプチ講演&東大情報学環で特任助教をされていらっしゃる安斎勇樹さんのファシリテーションでのグループワークを行ってきました。

講演前に、事前に中学3年生の生徒さんたちにメッセージを書いておいたのですが、せっかくなので貼り付けておきます。
参考になるかならないかわかりませんが…。

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将来の夢を探している中学生の皆さんへ
瀬尾拡史

先生や家族から「自分のやりたいことを早く見つけなさい。」「将来どうなりたいの?」と聞かれたり、或いは中高一貫校に在学していれば、高校生の先輩方の姿を見て自分の将来について考えたりすることもあるでしょう。

「そんなこと言われてもまだわかんねーよ!」という方も多いと思います。「考えてるけどやりたいことがなかなか見つからずに不安だ…」という方もいるでしょう。

大丈夫です。中学生の間にやりたいことが見つかるなんて、そっちのほうが稀です。中学生に対してやりたいことを見つけさせようとするほうが寧ろ酷だと思っています。

自分のやりたいことなんて、考えたからって見つかるものではないのです。
見つかる方法は、2つしかないと思っています。

1つは、ある日突然一目惚れのように出会う場合。いわゆる運命ってやつです。
もう1つは、好きなことも嫌いなことも含めて、目の前のことを一生懸命やっているうちに自分自身のことを理解出来るようになってきて、知らない間に何かに導かれていくパターン。

賢い頭で考えたところで、やりたことが答えとして見つかるなんてことはないと思います。

私の場合は、小さい頃から両親に算数・数学(…と言っても高校1, 2年生くらいの範囲までですが)を教えてもらって好きになって(目の前のことを一生懸命やったら好きになった!)、中学生のときにパソコン部に入ったらとても楽しくて、難しい部分も勉強出来て(目の前のことを一生懸命やったら好きになった!)、そんな中学2年生の春に、パソコン部内で0から3DCGをプログラミングしよう、ということになって(運命ですね!)、そのときに算数・数学の知識がとても役立ったのと、たまたま同級生に国際数学オリンピック最多出場記録を持つ友達がいて(運命ですね!)、その彼が3DCGプログラミングに必要な数学の教科書を中学2年生で作ってくれて、そしてちょうど同じ年にたまたまテレビで「NHK驚異の小宇宙・人体III 遺伝子・DNA」という、3DCGがフル活用されている番組を見て(運命ですね!)、

「これだぁぁぁぁぁ!!」

と思って今に至ります。

時期はたまたま中学生で、私の場合はとても早かったと思いますが、時期が早い遅いは関係ありません。

先ほど、自分のやりたことが見つかる方法は2つ、と言いましたが、実際には私自身の例のように2つの合わせ技です。

そして、一目惚れパターンは本当に運命としか言いようがありませんが、もう1つのパターンは自分自身の努力でいくらでも手に入れることが出来ます。

運命として国際数学オリンピック最多出場記録保持者が同級生にいたところで、もし自分が親から算数・数学を教えてもらっていなかったとしたら、おそらく前提知識が無さ過ぎて3DCGに必要な数学は理解できなかったでしょうし、ある程度プログラミングを勉強していなかったら、いくら3DCGに必要な数学の理解が出来ていたって、実際にプログラムを書くことは出来なかったでしょう。

 
そんなわけで、いざ自分が運命的なものに出会ったときに、実際にそれを運命に出来るように準備しておくことが何よりも大事で、そのためには、自分の好きなことはもちろん、嫌いなことでも目の前に課せられたことをとりあえず一生懸命やって、たくさんの知識と経験を付けて、少しでも良い環境に自分の身を置いておくしかないのです。

環境というのもとても大事で、私は筑駒出身なわけですが、筑駒でなければ数学の彼に出会うこともなかったでしょう。

いまの私自身も、東大という環境にいたからこそここまで来ることが出来ました。東大だったからこそ医学×3DCGを学生時代から取り組むことが出来たし、短期留学だって出来ました。

やりたことが見つかったときに、教えてくれる優秀な人材がすぐ近くにいるかとか、最新の実験設備が揃っているかとか、素晴らしく整備されたグラウンドがあるかとか、そういう「環境」に自分の身を置いているかもとても大事なのです。

中学生のみなさんの場合、目の前に課せられたこととは、即ち、勉強です。
日本の学校教育に賛否両論があることは私も何となく知っていますが、まぁそんなこと言っても、偉い大人たちがものすごい時間をかけて、「君たち将来どの道に行くにしたって、これくらいは勉強しておきなさいよ。」と思って定めたものです。ここでいう将来というのは、何も学術的なものだけではありません。芸能人だって良いしスポーツ選手だって良いしお花屋さんだって良いのです。

習ったことのほとんどは大人になって使うことが無いのですが、でも、運命的なものが自分の目の前に現れたときに、過去の知識や経験がメチャメチャ蘇ってきて、自分の将来を決定付けるのです。

「やりたいこととか将来とか実感もわかないし全然わかんねーよ。」と思ったら、それが普通です。そして、その次にやるべきことは、いつ現れるかわからない運命に遭遇したときに、それを運命に確実に出来るように、好きなことも嫌いなことも含めて、目の前のことをとりあえず一生懸命やって、少しでも良い環境に身を置けるように努力すること、だと私は思っています。

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