自分がやったことは本当に「可視化」だったのかわからなくなってきた。

SIGGRAPH ASIA関連週間も終わって明日からはいつも通りの生活に戻るので、その前に最近思ったことを書き留めておこう。

タイトルの通りで、UT-Heartのシミュレーション結果のデータを「可視化」した3DCG映像で、Los AngelesのSIGGRAPHでBEST VISUALIZATION OR SIMULATIONという賞を受賞することが出来たのだけれども、僕がやったことは本当に「可視化」と言って良いのだろうか、と。

そもそも僕はアカデミックの世界での「可視化」の定義すらわかっていない。

先月、お茶の水女子大学の伊藤貴之先生に声をかけて頂いて、女子大生相手に「理学総論」という科目の講義をさせて頂いたのだけれども、講義後に伊藤先生から「うちの研究室では瀬尾さんがUT-Heartでされたような物理空間の可視化もあるけれども、情報空間の可視化もかなりやっていいて」と伺って、そこで初めて「おぉ、そうか!確かにもともと実体として存在するものを可視化するのと、数値上でしか存在しないものを可視化するのと2つあるのか!」と理解出来たくらいに「可視化」について本当にわかっていない。

ちなみに講義のあとで伊藤先生が研究室紹介をして下さり、学生さん何人かがわざわざスライドを用意して下さって彼女たちの研究内容を発表してくれたのだけれども、本当に全く適切なアドバイスもコメントも出来なくて、それはとても申し訳なかったと思っている。なるほどこういうことが「可視化」研究なのか、と、あの場で初めて実感した、というのが正直なところ。

確かに、「可視化」と言われて思い浮かぶものといえば、Bubble ChartだったりChord Diagramだったり、そっち系のもののほうが何となく可視化研究っぽい。D3.jsっぽいやつ、とか言うとわかりやすいだろうか。

多次元の情報をどうやったら人間にとってわかりやすい形で表現できますか、という問いはわかりやすいし適度に抽象的でもあって、それを研究するのはとても大学向きだ。

今回のSIGGRAPH ASIAでSymposium On Visualization In High Performance Computingの基調講演をされたカリフォルニア大学のKwan-Liu Ma先生の研究ページを見てみても、どちらかというと情報空間の可視化のほうが多い気がする。

ちなみにこのKwan-Liu Ma先生、SIGGRAPH ASIAで僕の講演も聞きに来て下さって、講演後に僕のところに来て少し話をして下さったのだけれども、全く存じ上げずに本当にごめんなさい。ちなみに可視化研究では世界的な研究者の先生とのことです。

さて、と、なると、僕がUT-Heartのデータを「可視化」しました、といっているのは何なのだろうか、というのが最近の疑問。

伊藤先生の言葉を借りれば「物理空間の可視化」に含まれるのかもしれないけれども、いやちょっと待て、と。

11/6, 7に開催された第21回ビジュアリゼーションカンファレンスで僕は2日目に講演させて頂いたのだけれども、参加者の方が求めていたことと僕が話した内容とが噛み合っていないような気がとてもした。

僕は1日目、11/6のほうは急遽神戸ITフェスティバルに浮気してしまってほとんど参加できていないのだけれども、ビジュアリゼーションカンファレンスのほうは情報空間ではなく物理空間の可視化のほうがメインのはずで、でも、ここでの物理空間の可視化というのは、大規模データの効率的な取り扱い方とか、データ運用方法とか、どちらかというとアルゴリズム的なものの研究であって、「見せ方」や「わかりやすさ」に重点を置いたものではないような気がした。

ボリューム画像の表示方法についての発表もあるにはあったのだけれども、寧ろこれが特殊?なような気もした。で、この発表を聞いていて思ったのは、「ん、これが『可視化』に含まれるのであれば、流行りのPBRとかトゥーンレンダリングみたいな、レンダリング系のものも実は『可視化』なのかな?」と。

今まで可視化系の研究会や学会には数回だけだけれども呼んで頂いたことがあって、でも記憶を辿ってみるといわゆるレンダリングアルゴリズム的な発表はボリューム系のものいくつか以外には無かったような…。

となると「物理空間の可視化」の研究って何なのだろうなぁ、と。そもそもこんなこともわからないで自分が「可視化」について語る資格なんてないのかもしれない。

話を戻そう。自分がUT-Heartのシミュレーションデータに対してやったことは何なのか、と。

可視化関係の世界に触れれば触れるほど、実は自分がやったことは全く以て「可視化」ではないような気がしてきてならない。

では何をやったのかというと、ストーリーテリング、つまりデータをわかりやすく見せるための「脚本」を書いたに過ぎないのではないか、と。

「可視化」と「表現」とを混同していたのかもしれない。どの位置で断面を作ったら心臓の内部構造を説明するのにわかりやすいかな、とか、血液の流れは矢印にするだけではなくて、速度に応じた大きさと色を付けたほうが良いかな、とか、それは「表現」方法であって、主成分分析で多次元情報を三次元にして可視化した結果、心臓の動きについて新しくこんなことがわかったよ!みたいなものでは全く無い。

僕は実際のところ、「可視化」なんて1mmもしていないんじゃないかな、と思うようになってきたし、可視化関係の方々の前で発表させて頂くときにいつも感じる違和感の答えはこれなのかもしれない。


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自分がやったことは本当に「可視化」だったのかわからなくなってきた。 への1件のフィードバック

  1. Magician のコメント:

    SIGGRAPH ASIA当日、ParaViewを中心に情報交換させていただいた者です。
    しがないリーマン可視化技術者です。

    私は、瀬尾先生の作品も立派な可視化だと理解しています。
    動いてる生の心臓を見たことがある人なんて、ほんの一握りですよ?
    瀬尾先生の作品に出会って、心臓の動きの巧妙さに初めて気付いた方も少なくないでしょう。

    可視化業界の風潮として、可視化の先にある新たな知見を得ることが重要視されつつあるように感じます。
    ただ可視化の本来の使命は、十分な予備知識のない人にも現象を分かりやすく示すことにあるのではないでしようか。
    瀬尾先生の作品は、その使命を立派に果たしています。

    データをわかりやすく見せるための脚本を書くという行為も、もしかしたら可視化の一部として研究されるべき課題なのかも知れません。
    瀬尾先生、もしかしてUT-Heartを通じてまたひとつとんでもない発見をしてしまったのではありませんか?

    以上、今後の更なるご活躍に期待しています。

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